NUCLEAIRE
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┗■3.新聞より3つ
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◆ 環境相が「金目」発言謝罪 福島県民不信消えず
東京電力福島第一原発事故で発生した汚染土を保管する中間貯蔵施設建設に関し、石原伸晃環境相が「最後は金目でしょ」と発言した問題で、石原氏は23日、建設候補地の福島県大熊、双葉両町の役場と県庁を訪れ、両町長と佐藤雄平知事に謝罪した。しかし、「こんな謝罪じゃけじめにならない」などと県民の反発は根強く、来年1月に予定する搬入計画の先行きは不透明だ。 (中略)
この日の石原氏の謝罪に対し、同県飯舘村から福島市内に避難している主婦高橋富士子さん(57)は「東京に住んでいる大臣には、事故から3年以上も仮の家に住んでいる苦しみは分からない。人ごとだから金ですめばいいと思っている」と指摘。「本当に贖罪の気持ちがあるなら仮設住宅に住んで思いを共にすべきだ」と訴えた。
同市内の飲食店に勤める同県二本松市の主婦(60)は「責任をとるというのは辞めること。やじ発言問題も含め、市民の傷みを思いやれなくなっているのは石原さん含め安倍政権全体だと思う」と話していた。
(6月24日東京新聞より抜粋)
◆ 環境白書 原発事故は二の次か
環境技術と金融の推進による経済成長が今年の環境白書のテーマという。原発事故の後始末を最優先させるべき環境行政までが、政権の掲げる成長戦略にのみ込まれていくようで、気にかかる。
違和感がつきまとう。
「我が国が歩むグリーン経済の道」。ことしの環境白書のテーマである。
(中略)
白書は、役所の姿勢を示す。安倍政権が進める成長戦略の一翼をどう担うかが、環境省にとっても最大の関心事ということなのか。
一方で、福島第一原発事故に関する記述が目立たなくなる。 (中略)
ところが今回の目次には「原発」の文字がほとんど見当たらない。
この変化は何を示すのか。
環境省は、除染や放射性物質の処理など、原発事故の後始末の重要な部分を担っている。
しかし、白書によると、ことし二月時点の国直轄除染の実施率は、福島県浪江町の宅地で0・1%、富岡町の農地で0・2%、双葉町にいたっては、実施計画すら策定されていない。 (中略)
原発事故から3年3カ月。被曝(ひばく)のリスク評価は定まらず、依然として国全体を不安が覆っているようだ。避難指示が解除されても、多くの人が帰るに帰れない。
省として真っ先に発信すべきは今もなお、原発事故の危険や不安から国民を解き放つ、意欲と道筋なのではないか。 (中略)
環境と経済の両立も大事な仕事には違いない。だが、経済の逸脱を監視、是正する役割は、それ以上に重いのではないか。
国民と自然を守るのが、今も第一の使命のはずである。
(6月24日東京新聞社説より抜粋)
◆ 原燃、再処理工場 10月の完成困難に
日本原燃は、青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場を報道関係者に公開した。原燃は再処理工場の完成時期をことし10月としているが、原子力規制委員会の審査で準備不足が厳しく批判される事態となっており、予定通りの完成は困難な状況だ。再処理工場はこれまで、高レベル放射性廃液をガラスと混ぜる溶融炉でトラブルが頻発。完成時期を21回延期し、昨年5月にようやく試運転を終えた。(中略)
しかし規制委の審査は難航している。原燃は1月に審査を申請し、当初は6月前後の合格を見込んでいた。だが今月19日の審査会合で「不十分な内容で申請し、指摘を受けて修正しようとするやり方は極めておかしい」と批判が噴出。規制委に促されて実施中の断層の追加調査も終了のめどは立たず、審査は長期化の可能性が高まっている。
基準地震動の引き上げに追い込まれれば新たな耐震工事が必要となり、完成はさらに遠のく。
(6月22日東京新聞より抜粋)
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┗■4.テント日誌6月22日(日)
| 梅雨の谷間の涼しく爽やかなテント
| 経産省前テントひろば1016日 商業用原発停止277日
└──── (I・K)
○夜中から降り続く雨でちょっと涼しく、数日続いた暑さから逃れられホッと一息。当番のMさんやKさんが現れて泊まり開けの人たちが安心して帰られた。
暫らくして休日に時々座ってくださる群馬の人が今日は車で来たのでと水の入ったダンボールを抱えてやってきた。嬉しいカンパだ。彼は九州玄海町町長選挙のことを心配していた。
なぜなら立候補予定者が二人とも原発推進でしかも交付金をどう使うかが争点になっていると。7月29日告示で8月3日投票だとか、原発反対の人を立てなくては駄目だろうと言う。おっしゃるとおりだけれど、私たちに何が出来るだろう!
○相変わらずテントは臨時交番状態で道を聞かれることが多い。最近は虎ノ門ヒルズはどっちですかと良く聞かれる。珍し物好きがいるのでしょうね。
昼過ぎ雨が小降りになったので傘をさして座っていると、警官が来て右翼の街宣が大挙してくるのでテントの中に入っているようにと指示された。仕方なくテントで鹿児島に行ったKさんから交流会の話など聞いてじっとしていたが、なかなかやって来ない。第2テントで函館市大間原発裁判の報告会打ち合わせをしていると大音響が聞こえてきた。何台くらい来たのか判らないが、短時間で通り過ぎテントに実害はなく良かった。
夕方雨が上がり薄日が差してきた頃、Hさん、Sさんが来たので私とTさんはテントを去った。
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☆雨があがって爽やかな日曜の夜。
ワインとフランスパンとゆで卵と差入れでイチエフ事故論議。
脱原発を実現してテントをたためる日が待ち遠しい。(K.M)
○Fさんは、3号機で核爆発が起こったことを強調し、そのことをひた隠しにする当局とそのことを認めない人たちへの失望感を隠さない。もし核爆発ならば、軽水炉の安全性を全面的に見直さないといけない。それを避けるために「原子力ムラ」がイチエフ事故原因究明をしない、地震による配管破断の追及と同様に。報告書案待ちで半年間も中断している「東京電力福島第一原子力発電所における事故の分析に係る検討会」では3号機核爆発について確認されたのであろうか。
○一眠りして目覚めると経産省、外務省、農水省などどこも真っ暗、交差点から十個以上も見える地下鉄入口の電気だけが明るい。それでも、財務省の前だけは数台のタクシーが客待ちしている。だんだん明るくなってきて早い夜明け、湿度も低く爽やかだ。沢山の雀もピーピー鳴いている。日比谷公園も緑が深く赤のハイビスカス(?)が映える。早朝出勤のビル掃除のおばさんたちの「おはようさん、がんばってね。」が元気をくれる。
○テント開設千日を過ぎたが、週に一度の泊当番はそのうちの7分の1はここに半日以上滞在している。ということは140日以上だ。平日だけ霞ヶ関のビル内で仕事をしている人たちと比べても、我々とどちらが霞ヶ関の住人と言えるか分からないかも。そういえば、地下鉄やコンビニや食いもの屋さんがとても親切で、今やいいご近所さんだ。脱原発を実現してテントをたためる日が待ち遠しい。