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ニュークレール情報板
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たんぽぽ舎です。【TMM:No2602】
2015年10月1日(木)地震と原発事故情報-4つの情報をお知らせします
                            転送歓迎
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★1.原発事故の収束のメドは立っておらず、私達は低線量被曝を強要され続けています。
   全てが放射能に汚染されたことにより起きた事実です。今も続いています。
   意見陳述書 平成27年8月28日  東京地方裁判所民事第24部  (上)
                   原告 森園かずえ
★2.9・30 JCO臨界事故16周年   (決議文)
   事故から16年、未だにこの事故の原因の検証もきちんとしていない
   東電福島事故を忘れない!原発再稼働を許さない
                    たんぽぽ舎
★3.雨、雨、雨の中、銀杏踏みしめ、チョット臭くなりながら、
   でも、頑張ってきました。
   9月25日第167回金曜官邸前・国会前抗議行動の報告
             にしざきやよい(たんぽぽ舎ボランティア )
★4.新聞より
 ◆空母レーガンが横須賀に 安保法下の入港に抗議    (10月1日東京新聞より抜粋)   
 ◆動く原発なぜ居座る 安全性不明 市民らに危機感     (10月1日東京新聞より抜粋)
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※10/2(金)横須賀での米原子力空母「ロナルド・レーガン」入港抗議集会は変更ありません。
 18時よりヴェルニー公園で集会。19時デモ出発  たんぽぽ舎もノボリ旗を持って参加します。
※米原子力空母「ロナルド・レーガン」の入港日が変更になり10月1日早朝入港しました。
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※10/3学習会にご参加を!
 戦争とメディア・利用される映像メディア最終回
 パート3“戦争法案”と原発再稼働-映像があおる原発使えばこの世は天国-
 日 時:10月3日(土)18時より20時
 講 師:加藤久晴さん (メディア総合研究所研究員)
 会 場:「スペースたんぽぽ」(ダイナミックビル4F)   参加費:800円
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┗■1.原発事故の収束のメドは立っておらず、私達は低線量被曝を強要され続けています。
 |  全てが放射能に汚染されたことにより起きた事実です。今も続いています。
 |  意見陳述書 平成27年8月28日  東京地方裁判所民事第24部  (上)
 └──── 原告 森園かずえ
  
  ※編集部より:
    8月28日に東京地裁で原発メーカー訴訟第1回口頭弁論が開かれました。
 その際の原告森園かずえ様の意見陳述書を上下2回に分けて掲載します。

 私の住む福島県郡山市は、東京電力福島第一原子カ発電所から西へ、約60 km離れたところに位置し、東京23区にも匹敵する広大な面積を有しています。(注1) 
 福島は、海側から浜通り、中通り、会津地方に分かれています。原発事故は、ここ中通り地方にも、想像以上の汚染をもたらしました。
 また、原発事故により放射能が外に出てしまい、救助することができたはずの沿岸部の被災者を、助けることを断念せざるを得ませんでした。原発事故直後、須賀川市で「原発さえなければ」と書き残し、自殺された方がいらっしゃいました。このニュースに私は、大変ショックを受けました。 今月9日にも、一人暮らしの70代の女性が、応急仮設住宅で自殺されているのが発見されました。(20150809付民友新聞)自宅があっても、放射能に汚染された土地に戻ることができず、自殺される方はあとを絶ちません。それなのに、ニュースで取り上げられることも少なくなってきています。こんな理不尽なことがあって良いのでしょうか?(注2)
 現在も約11万余の人々が故郷から避難しています。原発事故の収束のメドは立っておらず、私達は低線量被曝を強要され続けています。そして原発事故は、人間だけを苦しめたのではありません。2011年、取り残されたペット、鶏や家畜の死は、どの様なものだったのかご存知でしょうか? 喉の渇き、空腹、恐怖と苦しみの中で逃げることができず、死んでいきました。家畜は、人間の手で殺されました。
 全てが放射能に汚染されたことにより起きた事実です。今も続いています。
 事故当時、我が家は地震による断水で、2時間から3時間、放射能が降り注ぐ中、給水に5日間並びました。この給水所で、放射性ヨウ素が検出されました。その時、何とも言えない不安な気持ちになったことを、今も覚えています。私は、どのくらい、初期被曝をしたのだろうか?

◆除染で安心?
 情報が錯綜する中、子ども達の姿が公園から消えました。どの公園にも子どもや、乳幼児を遊ばせるお母さん達の姿が見られなくなっていきました…。異様な状況下に置かれ、乳幼児が遊べる室内遊技場が建設され、まるでSF映画でも見ている様でした。
 しかし、事故直後から、行政や一部の専門家が、この程度の線量では「直ちに健康に影響は無い」と、まずは除染することが大切、除染することで、安心して暮らせるようになる、と説明したのです。教職員と親御さんの手によって、学校や通学路の除染が始まりました。付着した放射性物質を、高圧洗浄機を使って洗い流す。このような試行錯誤の除染が行われました。もちろん、これは「被曝」をともなう作業です。被曝しながら除染作業をする、その姿をあちこちで見かける様になりました。「汚染物質を移動させるだけだ」と言われても、やらずにはいられませんでした。
 我が家も自宅除染を行いました。毎時10マイクロシーベルト近い雨樋下と、庭の芝生を、一部剥離し、削り取った土を、土嚢に詰め、庭の片隅に積み上げブルーシートで覆いました。据え置くこと2年7ヶ月になります。(注3)
 一番の問題は、除染したものをどこに持って行くのか、仮置き場も中間貯蔵施設も決まっていないことです。現在、現地保管は10万箇所を超えています。(注4)
 なぜ、私たちが、自分達の手でやらなければならなかったのでしよう。本当なら、事故を起こした企業がやるべきこと、それは東電だけではなく、こんな危険な原発を造ったメーカーが、行って当たり前のことです。
 そして、なんと、いつの間にかこの除染が公共事業へと変わっていったのです。各公民館などで行われた除染説明会。その資料には、原発メーカーの名前がずらリ…。加害者である原発メーカーが、利益を得ながら除染をするという、本末転倒とも言うべき現象が生まれていきました。

◆子どもは宝?
 3月19日長崎大学の山下俊―、高村昇、広島大学の神谷研二の3氏が福島県アドバイザーに就任しました。「年100 mSvまでの被曝では健康に影響しない」「子ども達に砂場で遊ばせても問題なし」「笑って暮らせば大丈夫」など、無責任と謗り(そしり)を免れない言葉を、あらゆる機会を捉えては、発信していきました。
 国の財政を破綻させないためという、お題目を掲げて洗脳が始まりました。一般人の被曝線量の限度は、年1mSv。それが法律で定められているにも関わらず、赤ちゃん、子どもたちに「年20~100 mSvまで問題無し」とすることが、どういうことか、被告である原発メーカーの皆さんはお判りだと思います。ご自分の子どもさんやお孫さんに、同じことができますか?
 そして、世界で100万人に1人か2人とされる小児甲状腺癌。今月末には「第二十回県民健康調査検討委員会」が開催されます。福島県で検査を受けた約30万人のうち、悪性または悪性の疑いと診断された子どもは127人。うち104人が手術を終え、103人が小児甲状腺癌と確定。また、リンパ節や多臓器へ、転移している例も少なくないということです。「因果関係は考えにくい」とする国、県側は、何人の子どもに、甲状腺癌が見つかれば、因果関係を認めるのでしょう。手術の予後は良く、命に関わる病気ではないと、医者は言います。が、一生、薬を飲み続けなければならない子どもや、親御さんの苦悩と不安にどう向き合っていくのでしょう?
 子どもたちの部活も、「大会や練習の参加については保護者の署名・捺印・同意を得ること」とし、土壌汚染は無視されたまま、チェルノブイリの健康被害に学ぶことも無く、あくまで、責任は親御さんにあるとしているのです。

≪注1; 福島県で、伊達市、福島市、二本松市、本宮市、郡山市、須賀川市、そして白河市などが位置する中通り地方には、福島県の人回の65%に相当する約130万人が居住し、東北新幹線、東北道なども通過するという交通の要所。16万強の方々が避難した。≫
≪注2; 震災関連死のうち、本紙の集計で原発関連死の該当者がいたのは、1市増えて16市町村になった。大震災と原発事故の影響で今も、福島県民118,000人が県内外で避難生活を送る。市町村による震災関連死の認定数も増え続け、九日現在で1,884人…東京電力福島第一原発が立地する大熊、双葉両町などを含む双葉郡は原発被害が大きく、担当者によると、現在も郡内の8町村での震災関連死の申請は、毎月計20件前後ある(20150310東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2015031002100003.html ≫
≪注3; 市による我が家の除染は、ヘッド企業が三菱マテリアルで、下請負業者は福島市・郡山市の方々でした。除染は2013年11月に行われ、1袋1tのフレコンパック4袋が庭深く埋めてあります。≫

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┗■2.9・30 JCO臨界事故16周年   (決議文)
 |  事故から16年、未だにこの事故の原因の検証もきちんとしていない
 |  東電福島事故を忘れない!原発再稼働を許さない
 └──── たんぽぽ舎
   
    9・30 JCO臨界事故16周年   (決議文)
  事故から16年、未だにこの事故の原因の検証もきちんとしていない
 東電福島事故を忘れない!原発再稼働を許さない

(1)1999年9月30日午前10時35分ごろ、茨城県東海村にある「核燃料加工施設=JCO・東海事業所」で臨界事故が発生しました。高速炉「常陽」に使用する濃度の高い《原発の4~5倍の濃度》ウラン燃料を混ぜているときでした。
 この事故で作業に当たっていた3名のうち、大内久さん、篠原理人さんの2名が大量の中性子線等を浴びて亡くなりました(1名は重傷)。また、東海村の住民の方をはじめとする多くの人が被曝しました。
  政府発表でも667人被曝、350メートル圏内の住民避難、10キロ圏内の31万人にも及ぶ住民の屋内退避がなされました。
 この事故の真の原因究明や放射能被害をきちんと検証せず、貴重な事故の教訓も活かさず、原子力推進政策を強引に続けたことが、2011年3月11日の福島第一原発の事故につながっています。
  事故を自らの原発政策の失敗と考えず、「作業員の責任」として終わらせようとした政府や原子力推進勢力のこの事故に対する無責任さが、東電福島原発事故後も続いています。
(2)東電福島第一原発は、4年半たった今も事故の収束は全くめどが立たず、放射能汚染水対策もきちんとできず海洋汚染が続いています。
  また、住民の被害の補償も不十分で、故郷を奪われ避難生活を余儀なくしている方も福島だけ見ても11万人以上に及びます。また、多くの県民が「放射能管理区域」レベルの汚染地での生活を強いられています。さらに今後「原発事故子ども被災者支援法」の死刑宣告、2017年3月で住宅支援の打ち切り等々被害者切り捨ての政策は許せません。
  この状況を無視し、原発の再稼働を強行する政府の方針は許し難い暴挙です。
  原発なしでも電気は足りています。
  「核と人類は共存できない」をあらためて認識し、全原発・高速炉の廃炉、再処理の中止等、核・放射能に関わる全ての施設の廃止を進めましょう。
 
  私たちは2000年の1周忌から15年間、9月30日に追悼と抗議をしてきました。今年は16年目に当たります。
      絶対に「風化させない」!
                  2015年9月30日 追悼式参加者一同

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┗■3.雨、雨、雨の中、銀杏踏みしめ、チョット臭くなりながら、
 |  でも、頑張ってきました。
 |  9月25日第167回金曜官邸前・国会前抗議行動の報告
 └──── にしざきやよい(たんぽぽ舎ボランティア )
  
 朝から雨の1日、連れ合いの用事で川崎にて窓口の有る銀行を探すが、見つからず、ビル風に煽られた細い雨のおかげで、全身及びリュックはしっとり濡れて、オマケに、銀行見つからないままタイムアーウト。 なんてこったい、ネットで探すと、窓口有りかATMだけかがわかりにくくて、行ってみるとATMオンリーって罠に2回程引っかかり、時間を無駄にしてしまった。“電力会社に無駄な融資しすぎるから、顧客のニーズに答えるサービスができないんじゃぁ~”と、怒りつつ、たんぽぽ舎へ。  
 4時もだいぶ過ぎていたので、ビラのセットは既に終わりのんびりムード。水道橋も変わらず雨、「今日、関電やるのぉ」の声に「やります!」と私。今日は、Mさんもいるのでトラメガもあるし、何よりMさんのコールは良いリズムですからね。とは言いつつ、江戸の仇を大阪でって、チョット私怨も入りつつ、関電に向かいます。
 駅への道すがら、Sさんの軍用機の講義に聞き入る。アメリカの売りつける戦闘機は性能が、アメリカ軍用仕様の物よりかなり劣るんだって。例えば、アメリカ軍用は垂直に上昇する事が出来るけど、日本や韓国に売りつける物はできないとか。イロイロ興味深い話で、移動時間も有意義です。
 関電前も変わらず雨、移動の時間で私もクールダウン、私怨を交える事もなく抗議出来ました。良かった、良かった。
 さて官邸前、しつこいですが雨、でも、皆んな変わらず来てます。国会前も、希望のエリアも、雨足が強くなっても帰るどころか少しずつ増えていきます。希望のエリアの人が言ってたけど、本当に皆んな強くなったんだなぁって、つくずく思いました。戦争法案が強行採決され、今日の官邸前・国会前は、通常通りの原発反対に戻りましたが、プラカードはアベヤメロや、戦争反対、9条守れ、の関係も多かった。
 皆んな!継続は力なり!頑張りましょうね~  \(^o^)/

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┗■4.新聞より
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 ◆ 空母レーガンが横須賀に 安保法下の入港に抗議

 米海軍の原子力空母「ロナルド・レーガン」(RR)が1日午前、神奈川県横須賀市の米海軍横須賀基地に入港した。同基地への米空母配備は、1973年の「ミッドウェー」以来5隻目。地元では、原子炉事故に対する懸念や安全保障関連法成立で海上自衛隊と米海軍の一体化が進むとの警戒感から、配備に反対する声が根強い。この日も市民団体などが抗議活動を行った。 
 RRはこれまで横須賀基地に配備されていた原子力空母「ジョージ・ワシントン」(GW)の後継艦で、西太平洋やインド洋を担当する米第七艦隊の主力となる。
 2003年に就役。東日本大震災の被災地支援「トモダチ作戦」に参加し、救援物資の搬送などを担った。その際に被ばくしたとして、乗組員が東京電力を相手に米国で訴訟を起こしている。  (中略)
 またクリス・ボルト艦長は、動力として搭載する2基の加圧水型原子炉の安全性について「米国の厳しい基準をクリアしており、100パーセント安全だと自負している」と強調した。(後略)
                              (10月1日東京新聞より抜粋)
  <ロナルド・レーガン> ニミッツ級の原子力空母で、ジョージ・ワシントンと同型艦。これまで東太平洋を担当する米第3艦隊に所属し、米・カリフォルニア州サンディエゴに配備されていた。排水量9万7000トン、全長333メートルで東京タワーの高さと同じ。速力30ノット以上で航行し、航空機60機以上を搭載する。

 ◆動く原発なぜ居座る 安全性不明 市民らに危機感

 「戦後70年たって、なぜここに空母がいるのだと、あらためて疑問がわいた」。原子力空母「ロナルド・レーガン(RR)」の入港に海上から抗議した横須賀市の市民団体「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」メンバーの沢園昌夫さん(59)=横須賀市=は、かみしめるように話した。
 横須賀で生まれ育ち、基地への抵抗はなかったが、転機が訪れたのは2008年。RRの前任艦で、同型の「ジョージ・ワシントン(GW)」が、初の原子力空母として配備されることが決まった時だ。搭載する二基の加圧水型原子炉の熱出力は合計120万キロワットと推定され、福島第一原発1号機(同138万キロワット)に近い規模の原子炉が首都直近で稼働することになる。
  原発は国の原子力規制委員会の審査を受けるが、原子力空母は対象外で、安全管理は米国任せとなっているのが現状。沢園さんは、放射能漏れや事故の可能性に「相当まずいことだ」と危機感を覚え、本格的に反対運動を始めた。(中略)
  安全確保には、原子炉の情報公開▽万全な防災訓練の実施▽放射性廃棄物を搬出しないとの日米合意の順守-が重要と考えるが、改善されないまま入港に至ったことに悔しさをにじませる。「横須賀に居続けるなら、安全性に関する情報を公開すべきだ」   (中略)
  第四次厚木基地騒音訴訟原告団の金子豊貴男団長代行は「騒音被害の原因は空母艦載機。空母は出て行ってもらいたい」と訴えた。原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会共同代表の呉東正彦弁護士は、市民約一万人のアンケートを基に「約半数は原子力空母配備は反対、安全対策は不十分と考えている。母港化を撤回させましょう」と呼び掛けた。     (後略)
                                    (10月1日東京新聞より抜粋)
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