NUCLEAIRE
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┗■3.新聞より6つ
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◆工事重複 ひしめく敷地 福島第一 作業員倍増 1日6000人
東京電力福島第一原発では、凍土遮水壁の建設や旧型タンクの置き換えなど大型工事がひしめき、働く作業員は一日当たり約六千人と、昨夏に比べほぼ倍になっている。休憩所には人があふれ、通勤バスは一時間待ちになることも。現場では作業が重なり、混乱もたびたび起きている。(後略)
(9月22日東京新聞より抜粋)
◆福島第一 作業員重傷 タンク建設中 パイプ落下
東京電力は22日、福島第1原発で放射能汚染水を保管するタンクの建設中、鉄パイプが落下して協力企業の40代の男性作業員が重傷を負ったと発表した。男性は背骨を骨折したが、命に別条はないという。東電が事故の原因を調べている。
(中略)
男性は福島県いわき市内の病院に運ばれ、約1ヵ月の重傷と診断された。
(9月22日東京新聞夕刊より抜粋)
◆原子力事故 メーカー免責の賠償条約 臨時国会に承認案
「輸出推進」と批判も
菅義偉(すがよしひで)官房長官は22日午前の記者会見で、原発を持つ国同士が重大事故時の賠償金を支援する「原子力損害の補完的補償に関する条約(CSC)」の承認案を29日に召集される臨時国会に提出する考えを明らかにした。
この条約は異常に巨大な天災の場合を除き、賠償責任は全て、事故発生国の電力会社が負い、加盟国は事故発生国に対して支援金を支払う仕組み。輸出先が加盟国なら、日本製の原発でもメーカーは免責される。日本の原発メーカーはリスクが減る分、輸出しやすくなる。(中略)
しかし、日本弁護士連合会は「原発輸出の推進が目的で、原発による人権侵害を他国に広める」などと反対している。(9月22日東京新聞夕刊より抜粋)
◆「放射線」政府広報 健康被害過小評価の恐れ 「主張一方的」
被災者ら憤り「政府の本音出た」 リスク議論本格化しないのに…
「放射線についての正しい知識を」。そんな大見出しの政府広報が先月中旬、全国紙に一斉に掲載された。福島原発事故の健康影響を正しく伝え、風評を打ち消す狙いだという。ただ「安心神話」に偏ったような内容になっており、登場する学者も放射線の影響を軽く見る人物だ。投じた費用は1億円超。被災者の怒りの声が聞こえてくる。
15日に東京都内であった原発問題の市民集会。「政府広報の内容は問題がある。政府こそ正しい知識を持つべきだ」。原爆症認定訴訟で原告側の証人を務めるなど、放射線被ばくに精通する旭川北医院(北海道旭川市)の院長、松崎道幸医師はこう訴えた。
やり玉に挙がったのは8月17日付朝刊に掲載された政府広報だ。朝日、毎日、読売、産経、日経の全国5紙と福島県の地元紙の福島民報、福島民友の2紙に掲載された。翌日は夕刊フジにも出た。(中略)
市民団体「内部被ばくを考える市民研究会」(埼玉県川口市)の川根真也代表(52)は、政府広報に込められた意図をこうみる。
「政府は『国民は権威に弱いはず』という見立てで、東大やIAEAといった肩書を持つ専門家、さらには全国紙までも使い始めたのだろう。政府の本音がにじみ出ている。ただ事故の影響を過小評価すれば、しわ寄せが及ぶのは住民たちだ。今のやり方を許していいはずがない」
(9月22日東京新聞「こちら特報部」より抜粋)
◆原発のコスト 国富流出の試算に疑問
立命館大学教授(環境経済学) 大島堅一
(9月19日朝日新聞より見出し)
◆核燃サイクル 限界が迫っている
(9月19日朝日新聞「社説」より見出し)
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┗■4.テントには赤い彼岸花も飾ってある Mさんからおはぎの差し入れ
| テント日誌9月21日(日)
| 経産省前テントひろば1107日 商業用原発368日
└──── (I・K)
今日はMさんがおはぎを作ってきてくださった。
それでお彼岸なのだと改めて思い、テントに赤い彼岸花も飾ってあったのに気づく。
空気が澄み気持ちのよい気候になった。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。おはぎは甘さを抑えてありとても美味しかった。
23日に配布する予定の裁判チラシが一日遅れで届いたので正清さんが一生懸命折り込んでいた。
昼過ぎ右翼の街宣車が何台も前を「乞食・早く出て行け・4年も不法占拠しているのか!」など私たちに馬詈雑言を浴びせて通ったが、実害はなかったので良かった。Mさんの連れのルイちゃんは一寸怖かった様子。
10時半ごろから4時近くまで東京シティサイクリングの人たちが延々と通り過ぎて行った。そうだった去年も今頃通ったと思い出し、月日の経つ早さを思う。3時半ごろ一台の自転車がテント前の道路で転倒したのでびっくり!
あちこちにかなりひどい擦り傷を負っていたので、Yさんが第2テントから救急箱を持ち出して消毒してあげたが、救急箱の中に充分な備品がなく一寸困った。滅多にないことだが、時々点検しなければと思う。
暫らくして主催者の救急隊が駆けつけ手当てをしてもらいゴールに向かったのでひと安心した。
延々と行く自転車隊、ほとんどは無関心で通り過ぎたが、数人の人が「頑張って!」と言ってくれ嬉しかった。
夕方埼玉のKさんや泊まってくれるKさん、第2テントのHさんが来てくれたので私はテントを後にした。(I・K)