NUCLEAIRE
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┗■3.コラムその21:「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」
| あいまいな「立川断層」の危険度
| 地下で地層がずれていることが見つかれば過去の地震歴が分かる
| 活断層を調べるだけでは地震の発生を予測するのは不可能?
└──── 島村英紀(地震学者)
○大正関東地震(1923年)をはじめ、安政江戸地震(1855年)、明治東京地震(1894年)など、首都圏を襲ってきたいくつかのタイプの地震について話してきた。これらは地震が起きた年も、その被害も分かっている地震だ。
だが、首都圏を襲う地震はこれらのタイプだけではない。起きたことは確かなのだが、いつ起きたか分からない地震もある。
たとえば立川断層という活断層が起こした地震がある。
この立川断層で知られている最後の地震は約2万年より後で約13000年前より前と、なんとも曖昧なのだ。もちろん日本人が日本に住み着く前だ。一方、平均活動間隔も1万~15000年程度としか分かっていない。
立川断層は埼玉県飯能市から東京都青梅市、立川市を経て府中市まで続いている。長さは34キロほどある。
この立川断層が一般に知られるようになったのは、政府の地震調査委員会が2009年に全国での要警戒7活断層のひとつにしたからだ。選んだ基準は、活断層の近くに家が建てこんで人口密集地になっているうえ、マグニチュード(M)7.4(阪神淡路はM7.3)程度の地震を起こす可能性があるというものだった。
このため政府はこの断層のトレンチ法という調査を行った。トレンチ法とは、土木機械で土地を掘り下げて地層の断面を調べる調査である。普通は都会では出来ないが、幸い自動車工場が撤退した後の広大な空き地があったので可能になった。カルロス・ゴーン氏が日産自動車の赤字解消のために売り払った工場だ。
○地下で地層がずれていることが見つかれば過去の地震歴が分かる。
トレンチの語源は軍隊が掘る塹壕(ざんごう)だ。ここでも長さ250m、深さ10mもの巨大な塹壕のような溝を掘った。また3次元探査やボーリング調査も実施するなど、多額の費用を投入した大規模な調査だった。
しかし、報道されたとおり、調査結果はみっともないものになってしまった。学者が地震によってずれたと判断した根拠になった白っぽい岩は、じつは自動車工場がかつて打ち込んだ建物の杭(くい)だということが外部から指摘されたのである。
政府によれば、今後30年間でのここでの地震発生確率は0.5~2%、50年間で4%程度という。
ここに限らず、それぞれの活断層が将来、地震を起こす確率は、このようにごく低いものだ。30年間、つまり世代が交代するまでにたった2%というのでは、数字をわざわざ出すことはほとんど無意味だと私は思う。
じつは活断層に関する学問は、ある活断層がどのくらいの長さだけ続いているのか、過去にどのくらいの活動歴があったのか、そして、そもそも活断層なのかどうか、といった根本的な解釈が、学者によってちがう。数学や物理学のように、絶対の正しさが客観的に期待される学問ではないのである。
(2013年10月4日『夕刊フジ』より)
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┗■4.テント日誌10月6日(日)経産省前テントひろば757日目
| テントには雀さんの指定席も…金木せいの甘い香り、
| 今日も色々な来客、「電気は足りている」のTシャツつながりの
| Kさん、ほか
└──── (I.K)
○ 金曜日官邸前に向かう途中で突然甘い香りがしてきて、アッ金木犀だ!季節はちゃんと巡ってくるのだなと思いながら通り過ぎました。今朝、玄関を開けたら我が家の金木犀も負けずに良い香りを放っていたので気分良くテントへ向かったのです。テントへ着いたら向かいの財務省前に人がたくさん、どうやら何か撮影している様子、少し前にもNHKのドラマを撮影していたと聞いていたのでまたそうかなと図々しくも信号を渡って聞きに出かけました。やっぱりNHKの連続ドラマ「ガラスの家」の撮影だった。私はこのドラマ見たこと無いが、何でも主人公が財務省に勤めているとか… 財務省から出てくるシーンを撮るらしい撮影は8時ごろから人が来ていたとのこと、10時半ごろにはみんな引き上げて行きました。また、火曜日の夜10時の放送だそうで、見てみようかな?
○ その後今日も色々な方が訪れて下さった。バイクでいらした中年のご夫婦、「原発ゼロ★統一行動」に参加しようと一週間間違えて日比谷公園に行ってしまったそうだ。折角だからテントに寄ろうと来て下さった。ご主人の方は金曜行動に、はじめから参加して一回も休んだことが無いとのこと。仕事のスケジュールもそれにあわせて組んでいるとか。すごいですね。脱原発への強い思いが感じられます。
日比谷公園であったグローバルフェスタに参加の方が横浜から来ている若いボランティアの男性を連れてやってきました。良い機会だから霞ヶ関を案内するとテントから官邸前に向かって行きました。
昼近くいわきのYさんが来てTさんとお2人に昨日のインタビューの話を伺った。デンマークのジャーナリストが通訳を連れてきたようで、デンマーク語から英語へそして日本語へと複雑な会話だったらしい。お土産に頂いたユニークな形のチョコレートを食べる村長さんがほほえましかったと聞きました。見たかったなあ!たまたま居合わせたYさんがいわきの人だということで、漁師の話を聞きたいというので彼が仲介して今日はいわきで取材をしていることでしょう。Yさん13日にはいわきのお仲間と一緒にまた来てくるとのことです。
○ いつも犬を連れてきてくださるMさんと久しぶりに来たKさん何と「電気は足りている」のTシャツつながりで何度もメール交換をしていた間柄だったということが判明しました。以前から何度も会っているのに気がつかなかったのですね。 午後からは原発のことを勉強していて線量を計ったりしているという若い男性5人がテントの前で待ち合わせ暫くYさんなどと話して行かれました。
被告のMさんテントの中で一日チラシ折、時々居眠りを交えながら…5時半ごろAさんが来てくださったのでやっと家路に着きました。今日も色々な人にお会いできて楽しい一日でした。