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たんぽぽ舎です。【TMM:No1449】
2012年5月9日(水) 地震と原発事故情報
転送歓迎
━━━━━━━
★1.村田光平さん講演会「なぜ急ぐ再稼働-そのウラにあるもの」ほか
「反原発自治体議員・市民連盟」総会の案内。参加歓迎。
★2.関西電力京都支店前ハンスト報告 再稼働NO、市民もNPOも参加の
「オール京都」体制をこの1年でつくり
(NPO法人使い捨て時代を考える会 吉永剛志)
★3.太陽まもなく冬眠?
地球に低温期到来の可能性 (4月20日 朝日新聞より抜粋)
★4.読者からイベントのおさそい(問い合わせは主催者へお願いします)
◇5.26講演会 さようなら原発-脱原発・持続可能で平和な社会を目指
して-、5月26日(土)13:30開会、日本教育会館(神保町)
★5.<テント日誌5/7(月)
―経産省前テントひろば240日目 原発ゼロ2日目>
集団ハンスト行動を振り返って メッセージをお寄せ下さった人々
━━━━━━━
◇4月21日小出裕章講演会「原発はいらない!」のDVDができました
第一部の講演と第二部の質疑を収録。1枚1000円+送料80円、FAXまたは
Eメールでお申込みください。FAX:03-3238-0797、nonukes@tanpoposya.net
━━━━━━━
┏┓
┗■1.村田光平さん講演会「なぜ急ぐ再稼働-そのウラにあるもの」ほか
│ 「反原発自治体議員・市民連盟」総会の案内
└────(共催 反原発自治体議員・市民連盟、社会思想史研究会)
(どなたも参加できます。参加歓迎)
「反原発自治体議員・市民連盟」総会の案内
日程 5月13日(日) 13:30開会
会場 明治大学リバティタワー1001教室(東京・御茶ノ水駅下車)
入場料 1000円
第1部 総会 活動報告・活動方針・財政報告他
第2部 記念講演 講師/村田光平さん(元スイス大使)
講師紹介:1996年より3年半駐スイス大使を経験。ヨーロッパの脱原発や
環境税などの先進的な環境保護政策を学べと訴える。現役大使として
原発の危険性も訴えたが、原子力ムラの反発を呼ぶ。福島第一原発事故後
は、氏の先見性が注目を集める。
┏┓
┗■2.関西電力京都支店前ハンスト報告
│ 再稼働NO、市民もNPOも参加の「オール京都」体制を
│ この1年でつくり
└────(NPO法人使い捨て時代を考える会 吉永剛志)
以前もご報告しましたが、京都では、京都駅前関西電力支店で4月18日から
5月5日まで連続してハンガーストライキとリレー座り込みを行いました。
5日の午後5時からは、全原発がとまった集会(キャンドル☆アクション)を
もつことができ、200人が参加し、成功した集まりをもつことが出来たと思い
ます。
槌田劭さんは、18日間、水と塩のみのハンガーストライキを連続して行いま
した(夜も)。槌田さんを中心として、のべ400人の人が、座り込みに参加し
ました。脱原発1000万人署名も、5000筆集まりました。
さまざまな人がつめかけました。関西は琵琶湖がありますから、水と環境に
関する研究と運動の伝統があります。その研究者たちが来てくれたのが、京都
ならではの特徴といえるでしょう。東京と違い、『東大話法』(安冨歩)が嫌
いな研究者も残っています。安冨歩さん自身も、座り込みに参加しました。ま
た、東本願寺も脱原発決議を表明しましたが、東本願寺の人も、参加しました。
このように、市民はもちろん、NPO、NGO、さまざまな政党など、立場の違い
を超えて、「オール京都」体制をこの一年で創り出していけたことが、京都の
運動の他にない大きな特徴だと思います。大事にしていきたいと思います。
安冨歩さんは『今を生きる親鸞』(樹心社)という本を昨年出版しています。
槌田さんも当初は、夜は東本願寺山門に、テントはってハンストをやる、とい
う意気込みでした(山門近辺工事中ゆえ断念しました。)
ジャック・デリダというフランスの哲学者が、20年ほど前、「特定の信仰対
象のない、普遍的信」という言葉を使っていました。また日本では、批評家の
柄谷行人さんが、「普遍宗教」という言葉を最近使います。そのような言葉を
思い出しながら、ハンガーストライキとリレー座り込みを行っていました。
┏┓
┗■3.新聞・雑誌から
└────
◇太陽まもなく冬眠? 地球に低温期到来の可能性
(4月20日 朝日新聞より抜粋)
太陽の周期的な活動に異変が起き、「冬眠」に入って地球に低温期が到来す
る可能性があることがわかった。国立天文台や理化学研究所などが19日発表し
た。太陽の黒点の様子にも、過去に地球の気温が下がった時期と同様の変化が
見られるという。
太陽には南北両極に正と負の極があり、約11年周期で同時に反転する。
2013年5月に次の反転が始まると予測されていたが、太陽観測衛星「ひので」
で観測したところ、北極では約1年早く反転に近付いていることがわかった。
南極はそれほど変化がなかった。
このペースだと、12年5月に北極のみが反転し、太陽の赤道付近に別の極が
できる「4重極構造」になるという。
磁極の反転に関係する黒点の現れ方にも異変が観測された。黒点活動はガリ
レオの時代からの観測の蓄積があり、調べたところ、17世紀に起きた異変時
と様子が似ていた。
このとき、太陽はその後約70年間の「マウンダー極小期」と呼ばれる冬眠期
に入り、地球ではロンドンでテムズ川が凍ったり、京都の桜開花が遅くなった
りした。日本では20世紀後半より約2.5度気温が低かったという。
◇東電 ごまかしの末路、津波で過酷事故「みんな知ってた」
不具合調査もせず「安全」 再稼動よりも事故解明を
10年前に“脱原発”「福島第1」元技術者が語る
(5月8日 中日新聞より抜粋)
(編集部・注:中日新聞は東海地方の各県に影響の大きい新聞)
原発は人間の手に負えるものではないのでは─。
東京電力福島第1原発の元技術者木村俊雄さん(47)はこんな疑問を抱き
2001年、東電を辞めた。10年後、その予測は現実のものとなった。いま避難先
の高知県で極力、電気を使わない生活を送りながら、自身の経験を基に原発の
危険性に警鐘を鳴らし続ける。
─・─・─・─
◇避難先で警鐘
高知県土佐清水市。海岸沿いの集落にある築六十年以上の一軒家。窓から差
し込む自然光だけの中で、木村さんは「福島第一の事故原因が解明できていな
いのに、どうして安全対策を立てられるのか。原発を再稼動させようとする政
府の動きはおかしい」と語気を強める。(中略)入社後、柏崎刈羽原発(新潟
県)に配属され、1号機の試運転に携わった。福島第一原発には八九年に転属
された。仕事は、効率良く発電するために燃料集合体の配置を考えること。
(中略)豊富な経験と知識が求められるので、周りは尊敬の目で見てくれる。
やりがいのある、おもしろい仕事だったですよ」
◇耐え難い体質
そんな日々が続く中、徐々に仕事に違和感を覚えるようになった。「福島第
一は古いし、六基もあるからしょっちゅう停止する。それなのに、少しでも稼
働率を上げたい会社は調査もしないで、何とかごまかそうとしていた」
あえて原因は追究せず、相手が疑問を挟みにくいもっともらしい理由を考え
て通商産業省(現在の経済産業省)に報告するだけ。運転日誌を都合よく書き
換えるのも日常茶飯事だった。
「対外的には『安全、安心』とか『地域とともに』なんて言ってるのに、
やってることは全然違う。こんな会社にいていいのかなと」(中略)
九一年十月、決定的な出来事が起こる。1号機のタービン建屋の配管から冷
却用の海水が漏れ、非常用ディーゼル発電機が使えなくなった。
「この程度で電源が失われるなら、大きな津波が来たらメルトダウンになる
んじゃないか」。そう問い掛けた木村さんに、上司が返した答えはこうだった。
「その通りだよ。でも安全審査の中で津波とシビアアクシデント(過酷事故)
を結び付けるのはタブーなんだ」
「膨大なお金と時間がかかるから対策なんて取っていられない、ということ
だったんでしょうね。この上司は、福島第一に来る直前まで本社で安全審査を
担当していた。一定規模の津波がくればどうなるか、みんな分かっていたんで
す」(中略)
「地震で壊れた部分は何か、津波で壊れた部分は何かを徹底的に掘り下げて
分析するのが先。今の安全対策が意味をなさないことが分かっていないのは、
国と電力会社だけ」と政府の姿勢に疑問を呈して、こう訴えた。
「いたる所に断層がある日本で、安全に原発を動かすのは不可能。原発を再
稼働させるよりも、どうして政府は電力のピークをずらすことを考えないのか。
それこそ政治判断でできる。みんなが少しずつ、できることをやっていけばい
い」
┏┓
┗■5. <テント日誌5/6(日)
│ ―経産省前テントひろば239日目「原発稼働ゼロ1日目」>
│ お祝いの翌日テントひろばは通常モード、そして新たな道のりに。
└────(Toku-san)(K.M)
記念すべき原発稼働ゼロの瞬間をテントひろばでささやかにお祝いした翌日、
ハンスト期間中の疲れがどっと出たのか、朝起きると、10時を回っていた。テ
レビをつけると、「報道ステーションサンデー」で、大飯原発再稼働に関する
特集が放送されていた。冒頭で、原発の再稼働に反対する様子として、前日、
芝公園で行われた集会の様子と参加者へのインタビュー、その後のデモの様子、
テントひろばで行われたかんしょ踊りによる経産省包囲、5月2日の瀬戸内寂聴
さんのインタビュー、大飯町での抗議集会の様子が放送されていた。その後も、
大飯原発の立地の危険性、関電が原発再稼働を求める根拠となっている夏場の
電力需給予測の見積りの矛盾点を指摘し、「政府が原発を再稼働させることを
前提としていることが問題である」と締めくくられていた。その後に放送され
た「ワイドスクランブル」でもかんしょ踊りのシーンが流されたらしい。
(ん、なんかマスメディアの論調が変わってきたかな?よし!)
テントに着くと、今日は、杉並のデモに参加された多くの人が、帰りにテン
トにいらしてくれたようだ。
テントの前では、Fさんがテント前でギターを弾き、3人くらいが椅子に座
って、車座になって歌を歌っていた。昨日は、多くの人で賑わっていたテント
前ひろばも、すっかりいつもの光景に戻っている。テントの中には、FRさん
とYさんのご夫婦がいらっしゃった。FRさんは前日テントに来られなかった
事を詫びていたが、「今は、定期点検でゼロになっているだけ、福島の事が解
決しない現状では、お祝いする気分にはなれない」と仰る。また、「原発を使
わなくなったら、化石燃料を使う事になるが、これによっても環境が汚染され
るとも仰った。
(ここで続きの声あり。以下の5行は文責K.M)
私たちは、そうは言ってもウラン採掘でも先住民に犠牲者が出ているし、原
発による放射能汚染と使用済み核燃料廃棄物残存はレベルが違うのではと主張。
中国やインドやアフリカなど世界中の人々がいわゆる「北」の生活を享受する
ようになればエネルギーが枯渇し公害が発生し地球が持たない、それゆえエネ
ルギー消費を下げるべきというところに議論が落ち着いた。どうすればいい
か?
日本の公害の歴史を振り返りながら、江戸時代のクローズドな社会システム
に注目したところで時間切れ。
大飯町のテントに行かれていたQさんから現地の状況をうかがった。現地
では、大飯原発で働いていた方が、これから原発労働について声を上げ始める
という。現地の状況も確実に変わって来ていると思う。
「もし、テントが無かったら、もし、各地のデモや抗議集会が行われなかっ
たら、本当に原発の稼働ゼロを向かえる事が出来ただろうか?」私は、そうは
思わない。我々が意思表示をする事がなかったら、この国の政府は何事もなか
ったように原発を再稼働させ、多くの人が何事も無かったように受け入れた気
がする。今まで頑張って来られた皆さんの努力に心から感謝し、素直に一緒に
喜びたいと思う。
ただ、依然、原発の安全性が担保されない中で、経済的メリットを優先させ
る目的から原発を再稼働させようという政府の姿勢は変わっておらず、油断を
していると、一気に再稼働に持っていかれる可能性も否定出来ない。また、今
回のハンストによって、テントの知名度が上がった事は間違いないが、大きな
力の前では、我々だけで出来る事は、微々たるものである。現地の状況を踏ま
え、これから、我々がどのように行動していくか、きちんと戦略を立て、これ
まで以上に現地、東京の他の団体や専門家・著名人などの個人と上手く連携し
て行く事が重要になって来ると思う。また、今「何となく反対」と言っている
人に「断固反対」に変容してもらうためには、情緒的なコミュニケーションだ
けでなく、原発の実態についてわかりやすく説明する論理的コミュニケーショ
ンも重要になってくるであろう。 (Toku-san)
ついでに、連休中(5月1日)に開催された原子力委員会定例会議で日本学術
会議が「放射能対策の新たな一歩を踏み出すために―事実の科学的探索に基づ
く行動を―」を提言したこと、1949年に発足し日本の原子力政策の「学」から
の推進役を果たした学術会議が3.11福島原発事故を受けて何ら総括していない
こと、内閣府原子力委員会も日本の原子力政策を推進する重要な役割を果たし
ているのだから私たちが監視するべきであること、を確認。 (K.M)
2012年5月9日(水) 地震と原発事故情報
転送歓迎
━━━━━━━
★1.村田光平さん講演会「なぜ急ぐ再稼働-そのウラにあるもの」ほか
「反原発自治体議員・市民連盟」総会の案内。参加歓迎。
★2.関西電力京都支店前ハンスト報告 再稼働NO、市民もNPOも参加の
「オール京都」体制をこの1年でつくり
(NPO法人使い捨て時代を考える会 吉永剛志)
★3.太陽まもなく冬眠?
地球に低温期到来の可能性 (4月20日 朝日新聞より抜粋)
★4.読者からイベントのおさそい(問い合わせは主催者へお願いします)
◇5.26講演会 さようなら原発-脱原発・持続可能で平和な社会を目指
して-、5月26日(土)13:30開会、日本教育会館(神保町)
★5.<テント日誌5/7(月)
―経産省前テントひろば240日目 原発ゼロ2日目>
集団ハンスト行動を振り返って メッセージをお寄せ下さった人々
━━━━━━━
◇4月21日小出裕章講演会「原発はいらない!」のDVDができました
第一部の講演と第二部の質疑を収録。1枚1000円+送料80円、FAXまたは
Eメールでお申込みください。FAX:03-3238-0797、nonukes@tanpoposya.net
━━━━━━━
┏┓
┗■1.村田光平さん講演会「なぜ急ぐ再稼働-そのウラにあるもの」ほか
│ 「反原発自治体議員・市民連盟」総会の案内
└────(共催 反原発自治体議員・市民連盟、社会思想史研究会)
(どなたも参加できます。参加歓迎)
「反原発自治体議員・市民連盟」総会の案内
日程 5月13日(日) 13:30開会
会場 明治大学リバティタワー1001教室(東京・御茶ノ水駅下車)
入場料 1000円
第1部 総会 活動報告・活動方針・財政報告他
第2部 記念講演 講師/村田光平さん(元スイス大使)
講師紹介:1996年より3年半駐スイス大使を経験。ヨーロッパの脱原発や
環境税などの先進的な環境保護政策を学べと訴える。現役大使として
原発の危険性も訴えたが、原子力ムラの反発を呼ぶ。福島第一原発事故後
は、氏の先見性が注目を集める。
┏┓
┗■2.関西電力京都支店前ハンスト報告
│ 再稼働NO、市民もNPOも参加の「オール京都」体制を
│ この1年でつくり
└────(NPO法人使い捨て時代を考える会 吉永剛志)
以前もご報告しましたが、京都では、京都駅前関西電力支店で4月18日から
5月5日まで連続してハンガーストライキとリレー座り込みを行いました。
5日の午後5時からは、全原発がとまった集会(キャンドル☆アクション)を
もつことができ、200人が参加し、成功した集まりをもつことが出来たと思い
ます。
槌田劭さんは、18日間、水と塩のみのハンガーストライキを連続して行いま
した(夜も)。槌田さんを中心として、のべ400人の人が、座り込みに参加し
ました。脱原発1000万人署名も、5000筆集まりました。
さまざまな人がつめかけました。関西は琵琶湖がありますから、水と環境に
関する研究と運動の伝統があります。その研究者たちが来てくれたのが、京都
ならではの特徴といえるでしょう。東京と違い、『東大話法』(安冨歩)が嫌
いな研究者も残っています。安冨歩さん自身も、座り込みに参加しました。ま
た、東本願寺も脱原発決議を表明しましたが、東本願寺の人も、参加しました。
このように、市民はもちろん、NPO、NGO、さまざまな政党など、立場の違い
を超えて、「オール京都」体制をこの一年で創り出していけたことが、京都の
運動の他にない大きな特徴だと思います。大事にしていきたいと思います。
安冨歩さんは『今を生きる親鸞』(樹心社)という本を昨年出版しています。
槌田さんも当初は、夜は東本願寺山門に、テントはってハンストをやる、とい
う意気込みでした(山門近辺工事中ゆえ断念しました。)
ジャック・デリダというフランスの哲学者が、20年ほど前、「特定の信仰対
象のない、普遍的信」という言葉を使っていました。また日本では、批評家の
柄谷行人さんが、「普遍宗教」という言葉を最近使います。そのような言葉を
思い出しながら、ハンガーストライキとリレー座り込みを行っていました。
┏┓
┗■3.新聞・雑誌から
└────
◇太陽まもなく冬眠? 地球に低温期到来の可能性
(4月20日 朝日新聞より抜粋)
太陽の周期的な活動に異変が起き、「冬眠」に入って地球に低温期が到来す
る可能性があることがわかった。国立天文台や理化学研究所などが19日発表し
た。太陽の黒点の様子にも、過去に地球の気温が下がった時期と同様の変化が
見られるという。
太陽には南北両極に正と負の極があり、約11年周期で同時に反転する。
2013年5月に次の反転が始まると予測されていたが、太陽観測衛星「ひので」
で観測したところ、北極では約1年早く反転に近付いていることがわかった。
南極はそれほど変化がなかった。
このペースだと、12年5月に北極のみが反転し、太陽の赤道付近に別の極が
できる「4重極構造」になるという。
磁極の反転に関係する黒点の現れ方にも異変が観測された。黒点活動はガリ
レオの時代からの観測の蓄積があり、調べたところ、17世紀に起きた異変時
と様子が似ていた。
このとき、太陽はその後約70年間の「マウンダー極小期」と呼ばれる冬眠期
に入り、地球ではロンドンでテムズ川が凍ったり、京都の桜開花が遅くなった
りした。日本では20世紀後半より約2.5度気温が低かったという。
◇東電 ごまかしの末路、津波で過酷事故「みんな知ってた」
不具合調査もせず「安全」 再稼動よりも事故解明を
10年前に“脱原発”「福島第1」元技術者が語る
(5月8日 中日新聞より抜粋)
(編集部・注:中日新聞は東海地方の各県に影響の大きい新聞)
原発は人間の手に負えるものではないのでは─。
東京電力福島第1原発の元技術者木村俊雄さん(47)はこんな疑問を抱き
2001年、東電を辞めた。10年後、その予測は現実のものとなった。いま避難先
の高知県で極力、電気を使わない生活を送りながら、自身の経験を基に原発の
危険性に警鐘を鳴らし続ける。
─・─・─・─
◇避難先で警鐘
高知県土佐清水市。海岸沿いの集落にある築六十年以上の一軒家。窓から差
し込む自然光だけの中で、木村さんは「福島第一の事故原因が解明できていな
いのに、どうして安全対策を立てられるのか。原発を再稼動させようとする政
府の動きはおかしい」と語気を強める。(中略)入社後、柏崎刈羽原発(新潟
県)に配属され、1号機の試運転に携わった。福島第一原発には八九年に転属
された。仕事は、効率良く発電するために燃料集合体の配置を考えること。
(中略)豊富な経験と知識が求められるので、周りは尊敬の目で見てくれる。
やりがいのある、おもしろい仕事だったですよ」
◇耐え難い体質
そんな日々が続く中、徐々に仕事に違和感を覚えるようになった。「福島第
一は古いし、六基もあるからしょっちゅう停止する。それなのに、少しでも稼
働率を上げたい会社は調査もしないで、何とかごまかそうとしていた」
あえて原因は追究せず、相手が疑問を挟みにくいもっともらしい理由を考え
て通商産業省(現在の経済産業省)に報告するだけ。運転日誌を都合よく書き
換えるのも日常茶飯事だった。
「対外的には『安全、安心』とか『地域とともに』なんて言ってるのに、
やってることは全然違う。こんな会社にいていいのかなと」(中略)
九一年十月、決定的な出来事が起こる。1号機のタービン建屋の配管から冷
却用の海水が漏れ、非常用ディーゼル発電機が使えなくなった。
「この程度で電源が失われるなら、大きな津波が来たらメルトダウンになる
んじゃないか」。そう問い掛けた木村さんに、上司が返した答えはこうだった。
「その通りだよ。でも安全審査の中で津波とシビアアクシデント(過酷事故)
を結び付けるのはタブーなんだ」
「膨大なお金と時間がかかるから対策なんて取っていられない、ということ
だったんでしょうね。この上司は、福島第一に来る直前まで本社で安全審査を
担当していた。一定規模の津波がくればどうなるか、みんな分かっていたんで
す」(中略)
「地震で壊れた部分は何か、津波で壊れた部分は何かを徹底的に掘り下げて
分析するのが先。今の安全対策が意味をなさないことが分かっていないのは、
国と電力会社だけ」と政府の姿勢に疑問を呈して、こう訴えた。
「いたる所に断層がある日本で、安全に原発を動かすのは不可能。原発を再
稼働させるよりも、どうして政府は電力のピークをずらすことを考えないのか。
それこそ政治判断でできる。みんなが少しずつ、できることをやっていけばい
い」
┏┓
┗■5. <テント日誌5/6(日)
│ ―経産省前テントひろば239日目「原発稼働ゼロ1日目」>
│ お祝いの翌日テントひろばは通常モード、そして新たな道のりに。
└────(Toku-san)(K.M)
記念すべき原発稼働ゼロの瞬間をテントひろばでささやかにお祝いした翌日、
ハンスト期間中の疲れがどっと出たのか、朝起きると、10時を回っていた。テ
レビをつけると、「報道ステーションサンデー」で、大飯原発再稼働に関する
特集が放送されていた。冒頭で、原発の再稼働に反対する様子として、前日、
芝公園で行われた集会の様子と参加者へのインタビュー、その後のデモの様子、
テントひろばで行われたかんしょ踊りによる経産省包囲、5月2日の瀬戸内寂聴
さんのインタビュー、大飯町での抗議集会の様子が放送されていた。その後も、
大飯原発の立地の危険性、関電が原発再稼働を求める根拠となっている夏場の
電力需給予測の見積りの矛盾点を指摘し、「政府が原発を再稼働させることを
前提としていることが問題である」と締めくくられていた。その後に放送され
た「ワイドスクランブル」でもかんしょ踊りのシーンが流されたらしい。
(ん、なんかマスメディアの論調が変わってきたかな?よし!)
テントに着くと、今日は、杉並のデモに参加された多くの人が、帰りにテン
トにいらしてくれたようだ。
テントの前では、Fさんがテント前でギターを弾き、3人くらいが椅子に座
って、車座になって歌を歌っていた。昨日は、多くの人で賑わっていたテント
前ひろばも、すっかりいつもの光景に戻っている。テントの中には、FRさん
とYさんのご夫婦がいらっしゃった。FRさんは前日テントに来られなかった
事を詫びていたが、「今は、定期点検でゼロになっているだけ、福島の事が解
決しない現状では、お祝いする気分にはなれない」と仰る。また、「原発を使
わなくなったら、化石燃料を使う事になるが、これによっても環境が汚染され
るとも仰った。
(ここで続きの声あり。以下の5行は文責K.M)
私たちは、そうは言ってもウラン採掘でも先住民に犠牲者が出ているし、原
発による放射能汚染と使用済み核燃料廃棄物残存はレベルが違うのではと主張。
中国やインドやアフリカなど世界中の人々がいわゆる「北」の生活を享受する
ようになればエネルギーが枯渇し公害が発生し地球が持たない、それゆえエネ
ルギー消費を下げるべきというところに議論が落ち着いた。どうすればいい
か?
日本の公害の歴史を振り返りながら、江戸時代のクローズドな社会システム
に注目したところで時間切れ。
大飯町のテントに行かれていたQさんから現地の状況をうかがった。現地
では、大飯原発で働いていた方が、これから原発労働について声を上げ始める
という。現地の状況も確実に変わって来ていると思う。
「もし、テントが無かったら、もし、各地のデモや抗議集会が行われなかっ
たら、本当に原発の稼働ゼロを向かえる事が出来ただろうか?」私は、そうは
思わない。我々が意思表示をする事がなかったら、この国の政府は何事もなか
ったように原発を再稼働させ、多くの人が何事も無かったように受け入れた気
がする。今まで頑張って来られた皆さんの努力に心から感謝し、素直に一緒に
喜びたいと思う。
ただ、依然、原発の安全性が担保されない中で、経済的メリットを優先させ
る目的から原発を再稼働させようという政府の姿勢は変わっておらず、油断を
していると、一気に再稼働に持っていかれる可能性も否定出来ない。また、今
回のハンストによって、テントの知名度が上がった事は間違いないが、大きな
力の前では、我々だけで出来る事は、微々たるものである。現地の状況を踏ま
え、これから、我々がどのように行動していくか、きちんと戦略を立て、これ
まで以上に現地、東京の他の団体や専門家・著名人などの個人と上手く連携し
て行く事が重要になって来ると思う。また、今「何となく反対」と言っている
人に「断固反対」に変容してもらうためには、情緒的なコミュニケーションだ
けでなく、原発の実態についてわかりやすく説明する論理的コミュニケーショ
ンも重要になってくるであろう。 (Toku-san)
ついでに、連休中(5月1日)に開催された原子力委員会定例会議で日本学術
会議が「放射能対策の新たな一歩を踏み出すために―事実の科学的探索に基づ
く行動を―」を提言したこと、1949年に発足し日本の原子力政策の「学」から
の推進役を果たした学術会議が3.11福島原発事故を受けて何ら総括していない
こと、内閣府原子力委員会も日本の原子力政策を推進する重要な役割を果たし
ているのだから私たちが監視するべきであること、を確認。 (K.M)
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