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たんぽぽ舎です。【TMM:No1301】
転送歓迎
◆ 地震と原発事故情報 その286 ◆
4つの情報をお知らせします(1月5日)
12月25日、九州電力玄海4号機が定期検査で停止、
日本の稼働している原発は6基、全原発停止へあと一歩
★1.意見表明が容易な社会を望む
異なる意見を尊重しない社会ほど怖いものはない(東京新聞より)
★2.「事故収束」?
細野原発担当大臣曰く、「住民が追加で避難しなければならない事態は
もう絶対起こらない」?
★3.<テント日誌 1/1(日)>
今年は正念場 しなやかな気持ちで新年を迎える
―― 経産省前テントひろば 113日目 ――
★4.今すぐ、命の危険にさらされているふくしまの子どもたちを救うために
十二人の怒れる市民による「ふくしま集団疎開裁判」世界市民法廷の開
催を決定
★1.意見表明が容易な社会を望む
異なる意見を尊重しない社会ほど怖いものはない(東京新聞より)
弁護士 小町谷 育子
東京新聞には、さまざまなコラムがある。他紙と比較すると、コラムの書き
手のバックグラウンドの多様さと数の多さはぬきんでているよぅに思ぅ。さな
がら、新聞上の伝言版である。特に楽しみにしているのは、杉良太郎さんの
「紙つぶて」だ。(略)過去に芸能界から政治家に転身した人はいる。しか
し、芸能活動をしながら政治的な意見を発信しているひとはほとんど見かけな
い。太田光さんや山本太郎さんぐらいだろう。ハリウッド俳優が特定政党の支
援を公然と表明しているのとは大きな違いがあるようだ。(略)芸能界だけで
はなく、日本の社会全体が政治的な意見の表明をどこか歓迎していないよう
だ。その最たる例が、公務員の政治的な活動の禁止ではないか。休日に公務員
が職務とは無関係に、政党関係のビラを配布したからといって、市民が公務の
中立性、公平性を真剣Lこ疑ぅことがあるのだろうか。
裁判官が法廷の外で政治的な集会に参加したり、メディアで意見を述べたり
しても、それだけで判決が中立的でなくなるはずがない。役所に苦情が来た
り、裁判所がおよそ事案に関連性のない批判にさらされたりするのは、言葉は
悪いが、面倒臭いことだし、公務員の社会では批判されること自体が問題なの
かもしれない。
外国と比べて、日本では人権が保障されているといわれるのは誤りではない
が、大多数の人と同じ行動を取っている限りにおいて保障されているにすぎな
い。だから私たちは権利が侵害されていると感じないのだ。異なる意見を尊重
しない社会、意見に対する批判を恐れて自主的に規制する社会ほど怖いものは
無い。(略)個性を殺した画一性、協調性を重んじる日本社会の息苦しさがあ
るように思う。
★2.「事故収束」?
細野原発担当大臣曰く、「住民が追加で避難しなければならない事態は
もう絶対起こらない」?
たんぽぽ舎・劣化ウラン研究会 山崎 久隆
12月16日の野田首相会見は「冷温停止」と同時に「事故収束」も宣言し
た。このことは以前にも書いたが、もう一つ指摘しなければならない。「事故
収束」を同時に宣言した細野剛志原発担当大臣が「住民が追加で避難しなけれ
ばならない事態はもう絶対起こらない」と言ったのだ。
もともとこの日は「ステップ2」の達成という「節目」についての会見でし
か無かったはずなのに、どういうつもりか事故を収束としてしまった。そのあ
げくに「追加避難は絶対無い」と、根拠の無い「安全宣言」までしてしまっ
た。それを聞いて佐藤雄平福島県知事までもが怒った。事故収束とは、一般に
は事故処理が完了したという意味だろうが、この場合、放射能放出を止めたわ
けでも、事故の影響が無くなったわけでも無い。
最も大きな問題は細野大臣の言う「住民の避難が今後新たに生じない」こと
を「絶対」という言葉で言ったことだ。これほどの事故を引き起こしたのに、
まだ政府には「平常性バイアス」に基づく「安全神話」が生きているのかと愕
然とした。
最も重大な責任があるのは原子力安全委員会だ。斑目春樹委員長は「収束と
いう言葉を使ったことが無い」などと毎日新聞に語っているが、本当ならば全
力を挙げてそのような発言を阻止すべき立場だった。それをしなかった責任は
あまりにも重い。安全神話をまき散らし、事故の影響をできるだけ小さく見せ
ようとする政府の行為を助長するような原子力安全委員会は今すぐ解体すべき
だ。
原子炉直下にある燃料のデブリからは、まだ大量の放射能が出続けて散る。
そのため厳重な装備を付けなければ建屋内部はもちろんのこと、周辺にも近づ
けない。作業員は被曝覚悟で作業に当たるが、収束と言われて呆れかえってい
る。ますます自分たちの安全が脅かされるのではと、恐怖を感じる人も居る。
細野大臣の「絶対」という言葉を使っての追加避難否定発言は、これから放
射能を放出する事態になっても避難を発令しないとも読める。原子炉直下にあ
る燃料は、大量の水を流し続けてようやく冷えている。冷却水が止まれば再度
高温になる。燃料が何処にどうなっているかがさっぱり分からない状態では、
そういうことにならない保証が出来るわけがない。
さらに、気象庁は大規模余震と津波の到来を否定していないばかりか、相当
高い確率で発生し得るとしている。地震と爆発で大破している原発が余震や津
波の襲来に耐えられると、誰が保証できるというのか。健全だった原発ですら
地震で大破したことを、もう忘れたのだろうか。次のステップに進むために
は、仕切りが必要だとしても、それは「収束宣言」ではあり得ない。
★3.<テント日誌 1/1(日)>
今年は正念場 しなやかな気持ちで新年を迎える
―― 経産省前テントひろば 113日目 ――
1月1日(日) 曇り
テントは昨日来のオールナイトの盛り上がりの余韻を残し、テント前は賑わ
い、炊き出しや新年アピール放映が行われている。椎名さんは福島の子ども達
に話が及ぶと思わず目に涙が・・・。同時に、昨夜来の疲れもあって眠りこけ
ている人も多い。
今日も第3テントの皆様の炊き出しで、おいしいうどんや、暖かいコーヒー
に座り込みの仲間の顔がほころびます。交差点を行き交う乗用車、初もうでら
しき人々、観光客風の外国の人々など、意外と交通量はあって、今朝の東京新
聞を見たと言って訪ねてくる方も。(東京新聞の一面下のコラムに、テントひ
ろばでの昨夜のオールナイトのイベントのことが記されていた。)私は、簡易
着物を着こんで、2号テントの受付デスクを外に出してもらって、お抹茶をた
てて、受付と呼びかけ、テントの中では椎名さんや、鎌倉デュオ、など、数名
の方が大掃除。年末に届いた大量の飲料水や湯たんぽなどを整理し、テントの
中に置かれた私物は各自引き取っていただきました。
次々と届く差し入れで、華やいだ食卓となりました。お抹茶は、略式という
よりも、2杯ずつ流れ作業で、淹れては紙コップに移し替えてお渡しする方式
でちょうど良い塩梅の人出。意外と好評で、おかわりの声も。特筆すべきは、
小学生の子どもを自転車に乗せた若いお母さんが、「子供の質問なのですが、
どうして、デモをしないで皆さんは座っているの?」と尋ねていらっしゃっ
て、話が弾みました。脱原発・デモが好意的に捉えられた上での疑問を携えて
の訪問ということに、私たちは確かな手ごたえを感じ取りました。連日通って
いらっしゃる斎藤美智子さんが、嬉しそうにその母子を見送りながら、「毎日
ずーっとデモでは身が持たない」とぽつり。ほんとうに、テントで交流しなが
ら座り込み闘争ができることはありがたいことです。2号テントには、脱原発
お札が張り出されて、皆でその周りをあれこれと工夫して飾り立て、お賽銭箱
も登場、○○ガミさんも登場して、テントの周囲は、正にありがたい雰囲気が
漂っています。
「東北のボランティアの帰りですが、ツイッターで見て、来たかった、名古
屋に帰る途中で高速降りてきました」という青年が質素な作業服のポケットか
らお札をカンパ箱に。また、いかにも下町っ子らしい作業着姿の親父さんは、
「ほら コレッ」と東京新聞を差し出した後、ご祝儀袋にお札を入れてカンパ
箱に。マイクでお話をしていると、信号待ちの都バスの中から、年配の男性が
手を振ってくれたり、乗用車の若者たちが車の窓から身を乗り出して興味深そ
うに見てくれるので、椎名さんがスマイリングサンシールを差し上げると喜ん
で下さったり、右翼も警察も妨害が無いまま3時までの生活時間展開は年初か
ら大成功!
( タッチー )
★4.今すぐ、命の危険にさらされているふくしまの子どもたちを救うために
十二人の怒れる市民による「ふくしま集団疎開裁判」世界市民法廷の開
催を決定
「私たちは100%」チェルノブイリ避難基準の強制避難地域で教育を受け
る子どもたちです。「0%の人たち」の手によって、私たちの命が危険にさら
されるという不正義を、昨年暮れ、裁判所もお墨付きを与えました(12月1
6日決定)。私たちはこのような理不尽な不正義を許す訳には行きません。正
義の裁きを下すため、2012年冬、「ふくしま集団疎開裁判」の世界市民法
廷を開催することにしました。
以下、生原稿ですが(今後、詳細を公表)、発表します。
1.3.11以来、6.24の申立までのふくしまの現実と子どもたちの状況
頬を真っ赤にして、風の中を走りぬけ、木イチゴをほおばり、虫取りに胸を躍
らせ、雪原をころげまわる・・・。それが、ふくしまの子どもたちでした。
3・11福島第一原発の巨大事故により、ふくしまはすっかり変わってしまい
ました。疎開裁判の申立人である14名の子どもたちが住む郡山市では、安定
ヨウ素剤の配布もなく、放射能測定値が公表されない中で、多くの市民が目に
は見えない放射能に曝されたのです。
息子を給水車の列に並ばせてしまった父親がいました。毎日屋外での部活に出
かけた高校生がいました。卒業式を行うという学校の指示に従い、避難先から
娘を連れて戻ってきた母親がいました。
SPEEDIのデータをはじめとする情報は隠され、「安全キャンペーン」に
より、事故は矮小化されました。文科省の年間20mSvの基準に象徴される
ように、さまざまな基準値が突然引き上げられました。
不安と恐怖の中で、親たちは必死で子どもを守ろうとしてきましたが、行政に
よる子どもたちの命と健康の確保は、除染という方法しかなされませんでし
た。避難区域に指定されていない郡山市の子どもたちには命と健康を確保する
ためには自主避難という方法しかありませんでした。しかし、自主避難は、子
どもたちにとっては、友だちと別れ、知らない世界に飛び込まなければならな
いことでした。親たちにとっては、大きな経済的負担や家族が別れ別れになる
ことが余儀なくされるため、その選択を誰もができた訳ではありません。
そのような中で、申立人となった14名の子どもたちはやむにやまれぬ思いで、
「ふくしま集団疎開裁判」を起こしたのです。
2.申立の理由とその意味
(1) なぜ、申立をしたのか?
文科省は、福島県の父母たちの抗議を受けて、2011年5月27日に、福島
県内の学校について、空間線量の値が年間20mSv以下なら教育OKという
基準を改め、年間1mSv以下を目指すと訂正しました。
しかし、現実に福島県内の学校は殆ど全てが年間1mSv以上の汚染状況であ
り、それどころか郡山市中心部では殆ど全てがチェルノブイリ避難基準で強制
的に避難させられる移住義務地域(年5mSv以上)に該当する極めて危険な
状態でした(汚染マップ参照 https://docs.google.com/viewer?url=http%3A%2F%2F1am.sakura.ne.jp%2FNuclear%2Fkou55-4Koriyamap-Airdose.pdf)。
これに対し、文科省と自治体は、福島県の父母たちが強く求めたにもかかわら
ず、子どもたちを安全な場所に移して教育を実施しようとしませんでした。そ
もそも政府は福島第一原発事故の加害者です。加害者という身でありながら、
いわれなき人災のために命と健康の危険にさらされている子どもたちをこのま
ま放置しておくことは、過去に例を見ない凶悪な人権侵害行為であるのみなら
ず、国際法上の犯罪である「人道に対する罪」に該当する重大犯罪です。
そこで、苦しみの中で救済を求めている市民の声に耳を傾けようとしない政府
と自治体の人権侵害行為をただすため、「人権の最後の砦」として政府等の病
理現象を正すことを本来の使命とする裁判所に救済を訴え出ました。それが2
011年6月24日、郡山市の小中学生14名が郡山市を相手に訴えた「子供
たちを安全な場所で教育せよ」を求める裁判(仮処分申立)です。
(2) 申立の意味とは
この疎開裁判が最終的に目指すのは、福島第一原発事故のために命と健康の危
険にさらされている全ての子どもたちが安全な場所で教育を受けられるように
することです。しかし、今の裁判制度ではそれを直ちに実現することは不可能
です。そこで、まず、郡山市の14名の小中学生がいわば先駆けとなって、救
済を求める裁判を起こしました。もしこの訴えが認められたら、次に、14名
の小中学生と同様の危険な環境に置かれている全ての子どもたちの救済を、
「子供たちを安全な場所で教育せよ」という裁判所の命令を踏まえて、市民に
よる対行政交渉を通じて実現するというプランでした。その意味で、この14
名は被ばくにより命と健康の危険にさらされている全ての子どもたちを事実上
代表して、訴訟に出たのです。
3.審理の経過
疎開裁判は過去に例を見ない裁判のため、形式的な理由で門前払いされるおそ
れがありましたが、裁判所は門前払いせず、子どもたちの被ばくの危険性とい
う裁判の主題の検討(実体審理)に入りました。
当初、2011年9月9日で審理を終え、結論を出す予定でしたが、当日、私
たちが提出した書面により審理は異例の延長となりました。8月末に文科省が
公表したセシウムの土壌汚染のデータにより、初めてチェルノブイリ事故との
具体的な対比が可能となったからです(セシウムの汚染度が郡山市と同程度の
ルギヌイ地区を取り上げ、チェルノブイリ事故以後、その地区で発生した異常
な健康障害が、郡山の子どもたちをこのままにしておくと、今後、同様の健康
障害が発生することが予測されると指摘した矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授の意
見書など)。
これに対し、郡山市は、チェルノブイリ事故との対比について「不知」と答え
るのみで、転校の自由があるのだから危険だと思う者は自主的に引っ越せばよ
い、安全な場で教育を受ける権利を侵害したのは東電であって自分たちではな
い、だから郡山市は子どもたちを安全な場所に避難させる義務を負わないと反
論しました。これは人権宣言の正反対とも言うべき人権侵害の宣言です。
これに対し、私たちは、その後もチェルノブイリ事故との対比に関する証拠を
精力的に提出し、万全を期しました。こうして、延長戦の審理は10月末に終了
しました。
4.12.16判決(決定)の結論と理由
仮処分申立は本来、緊急に救済を実現するためのものですが、今回、裁判所が
判断を下したのは審理終結から45日経過した、奇しくも、野田総理大臣が福島
第一原発事故の原子炉は「冷温停止状態」になったと宣言したのと同じ12月
16日でした。結果も同じく「避難停止状態」、子どもたちの申立を却下する
ものでした。
理由のエッセンスは、14名の申立は郡山市の全ての小中学生を有無を言わせ
ず一律に疎開を求めるというものであるから、その要件は厳格に解する必要が
あること、そのためには14名の子どもたちの生命身体に対する具体的に切迫し
た危険性があること、その危険性を判断する上で最大の論拠となるのは空間線
量の値が年間100mSv以上であること、ところが、14名の子どもたちが通
う学校の空間線量の値が年間100mSv以上であることの証明はない、とい
うものでした。
他方で、私たちが最も力を入れて主張・立証した「チェルノブイリ事故との対
比」に対して、裁判所は一切応答せず、これを黙殺しました。
また、申立却下の最大の根拠となったいわゆる100mSv問題(100mS
v未満の放射線量を受けた場合における晩発性障害の発生確率について実証的
な裏付けがないかどうかという問題)について、審理の中では一度も当事者か
らも裁判所からも取り上げられたことがなかったにもかかわらず、裁判所は判
決の中で、いきなり、なおかつ当事者が提出した証拠に基づかずに認定しまし
た。つまり、裁判所は、処分権主義、弁論主義、証拠裁判主義といった「人権
の最後の砦」を支える近代裁判の基本原則をことごとく踏みにじることで申立
却下という結論を導き出したのです(その詳細は、裁判所の判決(決定)に対
するコメント(1) コメント(2) コメント(3) )。
5.判決を是正し、今、命の危険にさらされているふくしまの子どもたちを救
うために必要な取組み
裁判所の判決(決定)は「人権の最後の砦」である司法の自殺であり、政府と
自治体の凶悪な人権侵害行為にお墨付きを与える重大犯罪です。そのため、ふ
くしまの子どもたちは今、命の危険という重大な危機にさらされています。こ
れを救うために、私たちは再び、人類普遍の価値を有する近代の人権宣言の原
点に帰って行動を起こすことにしました。その原点の1つがアメリカ独立革命
のヴァージニア憲法3条です。
「政府は人民、国家または社会の利益、保護および安全のために樹立される。
いかなる政府も、これらの目的に反するか、または不十分であると認められた
場合には、社会の多数の者は、その政府を改良し、変改し、または廃止する権
利を有する。この権利は、疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄
てることもできないものである。」
私たちは、今から「市民の、市民による、市民のための市民法廷」を開催し、
世界中の市民から構成される陪審員の手によって、上記の裁判所の判決が正し
いかどうか、過っているならばその正しい判断と理由は何かについて、人類普
遍の価値を有する人権宣言とそれを子どもに適用した「子どもの権利条約」に
基づいて裁くことにしました。それが「ふくしま集団疎開裁判」世界市民法廷
の開催です。
この世界市民法廷を通じて、今、命の危険にさらされているふくしまの子ども
たちを救うために、世界中の良識ある市民から支持される正しい裁きを下した
いと思います。
転送歓迎
◆ 地震と原発事故情報 その286 ◆
4つの情報をお知らせします(1月5日)
12月25日、九州電力玄海4号機が定期検査で停止、
日本の稼働している原発は6基、全原発停止へあと一歩
★1.意見表明が容易な社会を望む
異なる意見を尊重しない社会ほど怖いものはない(東京新聞より)
★2.「事故収束」?
細野原発担当大臣曰く、「住民が追加で避難しなければならない事態は
もう絶対起こらない」?
★3.<テント日誌 1/1(日)>
今年は正念場 しなやかな気持ちで新年を迎える
―― 経産省前テントひろば 113日目 ――
★4.今すぐ、命の危険にさらされているふくしまの子どもたちを救うために
十二人の怒れる市民による「ふくしま集団疎開裁判」世界市民法廷の開
催を決定
★1.意見表明が容易な社会を望む
異なる意見を尊重しない社会ほど怖いものはない(東京新聞より)
弁護士 小町谷 育子
東京新聞には、さまざまなコラムがある。他紙と比較すると、コラムの書き
手のバックグラウンドの多様さと数の多さはぬきんでているよぅに思ぅ。さな
がら、新聞上の伝言版である。特に楽しみにしているのは、杉良太郎さんの
「紙つぶて」だ。(略)過去に芸能界から政治家に転身した人はいる。しか
し、芸能活動をしながら政治的な意見を発信しているひとはほとんど見かけな
い。太田光さんや山本太郎さんぐらいだろう。ハリウッド俳優が特定政党の支
援を公然と表明しているのとは大きな違いがあるようだ。(略)芸能界だけで
はなく、日本の社会全体が政治的な意見の表明をどこか歓迎していないよう
だ。その最たる例が、公務員の政治的な活動の禁止ではないか。休日に公務員
が職務とは無関係に、政党関係のビラを配布したからといって、市民が公務の
中立性、公平性を真剣Lこ疑ぅことがあるのだろうか。
裁判官が法廷の外で政治的な集会に参加したり、メディアで意見を述べたり
しても、それだけで判決が中立的でなくなるはずがない。役所に苦情が来た
り、裁判所がおよそ事案に関連性のない批判にさらされたりするのは、言葉は
悪いが、面倒臭いことだし、公務員の社会では批判されること自体が問題なの
かもしれない。
外国と比べて、日本では人権が保障されているといわれるのは誤りではない
が、大多数の人と同じ行動を取っている限りにおいて保障されているにすぎな
い。だから私たちは権利が侵害されていると感じないのだ。異なる意見を尊重
しない社会、意見に対する批判を恐れて自主的に規制する社会ほど怖いものは
無い。(略)個性を殺した画一性、協調性を重んじる日本社会の息苦しさがあ
るように思う。
★2.「事故収束」?
細野原発担当大臣曰く、「住民が追加で避難しなければならない事態は
もう絶対起こらない」?
たんぽぽ舎・劣化ウラン研究会 山崎 久隆
12月16日の野田首相会見は「冷温停止」と同時に「事故収束」も宣言し
た。このことは以前にも書いたが、もう一つ指摘しなければならない。「事故
収束」を同時に宣言した細野剛志原発担当大臣が「住民が追加で避難しなけれ
ばならない事態はもう絶対起こらない」と言ったのだ。
もともとこの日は「ステップ2」の達成という「節目」についての会見でし
か無かったはずなのに、どういうつもりか事故を収束としてしまった。そのあ
げくに「追加避難は絶対無い」と、根拠の無い「安全宣言」までしてしまっ
た。それを聞いて佐藤雄平福島県知事までもが怒った。事故収束とは、一般に
は事故処理が完了したという意味だろうが、この場合、放射能放出を止めたわ
けでも、事故の影響が無くなったわけでも無い。
最も大きな問題は細野大臣の言う「住民の避難が今後新たに生じない」こと
を「絶対」という言葉で言ったことだ。これほどの事故を引き起こしたのに、
まだ政府には「平常性バイアス」に基づく「安全神話」が生きているのかと愕
然とした。
最も重大な責任があるのは原子力安全委員会だ。斑目春樹委員長は「収束と
いう言葉を使ったことが無い」などと毎日新聞に語っているが、本当ならば全
力を挙げてそのような発言を阻止すべき立場だった。それをしなかった責任は
あまりにも重い。安全神話をまき散らし、事故の影響をできるだけ小さく見せ
ようとする政府の行為を助長するような原子力安全委員会は今すぐ解体すべき
だ。
原子炉直下にある燃料のデブリからは、まだ大量の放射能が出続けて散る。
そのため厳重な装備を付けなければ建屋内部はもちろんのこと、周辺にも近づ
けない。作業員は被曝覚悟で作業に当たるが、収束と言われて呆れかえってい
る。ますます自分たちの安全が脅かされるのではと、恐怖を感じる人も居る。
細野大臣の「絶対」という言葉を使っての追加避難否定発言は、これから放
射能を放出する事態になっても避難を発令しないとも読める。原子炉直下にあ
る燃料は、大量の水を流し続けてようやく冷えている。冷却水が止まれば再度
高温になる。燃料が何処にどうなっているかがさっぱり分からない状態では、
そういうことにならない保証が出来るわけがない。
さらに、気象庁は大規模余震と津波の到来を否定していないばかりか、相当
高い確率で発生し得るとしている。地震と爆発で大破している原発が余震や津
波の襲来に耐えられると、誰が保証できるというのか。健全だった原発ですら
地震で大破したことを、もう忘れたのだろうか。次のステップに進むために
は、仕切りが必要だとしても、それは「収束宣言」ではあり得ない。
★3.<テント日誌 1/1(日)>
今年は正念場 しなやかな気持ちで新年を迎える
―― 経産省前テントひろば 113日目 ――
1月1日(日) 曇り
テントは昨日来のオールナイトの盛り上がりの余韻を残し、テント前は賑わ
い、炊き出しや新年アピール放映が行われている。椎名さんは福島の子ども達
に話が及ぶと思わず目に涙が・・・。同時に、昨夜来の疲れもあって眠りこけ
ている人も多い。
今日も第3テントの皆様の炊き出しで、おいしいうどんや、暖かいコーヒー
に座り込みの仲間の顔がほころびます。交差点を行き交う乗用車、初もうでら
しき人々、観光客風の外国の人々など、意外と交通量はあって、今朝の東京新
聞を見たと言って訪ねてくる方も。(東京新聞の一面下のコラムに、テントひ
ろばでの昨夜のオールナイトのイベントのことが記されていた。)私は、簡易
着物を着こんで、2号テントの受付デスクを外に出してもらって、お抹茶をた
てて、受付と呼びかけ、テントの中では椎名さんや、鎌倉デュオ、など、数名
の方が大掃除。年末に届いた大量の飲料水や湯たんぽなどを整理し、テントの
中に置かれた私物は各自引き取っていただきました。
次々と届く差し入れで、華やいだ食卓となりました。お抹茶は、略式という
よりも、2杯ずつ流れ作業で、淹れては紙コップに移し替えてお渡しする方式
でちょうど良い塩梅の人出。意外と好評で、おかわりの声も。特筆すべきは、
小学生の子どもを自転車に乗せた若いお母さんが、「子供の質問なのですが、
どうして、デモをしないで皆さんは座っているの?」と尋ねていらっしゃっ
て、話が弾みました。脱原発・デモが好意的に捉えられた上での疑問を携えて
の訪問ということに、私たちは確かな手ごたえを感じ取りました。連日通って
いらっしゃる斎藤美智子さんが、嬉しそうにその母子を見送りながら、「毎日
ずーっとデモでは身が持たない」とぽつり。ほんとうに、テントで交流しなが
ら座り込み闘争ができることはありがたいことです。2号テントには、脱原発
お札が張り出されて、皆でその周りをあれこれと工夫して飾り立て、お賽銭箱
も登場、○○ガミさんも登場して、テントの周囲は、正にありがたい雰囲気が
漂っています。
「東北のボランティアの帰りですが、ツイッターで見て、来たかった、名古
屋に帰る途中で高速降りてきました」という青年が質素な作業服のポケットか
らお札をカンパ箱に。また、いかにも下町っ子らしい作業着姿の親父さんは、
「ほら コレッ」と東京新聞を差し出した後、ご祝儀袋にお札を入れてカンパ
箱に。マイクでお話をしていると、信号待ちの都バスの中から、年配の男性が
手を振ってくれたり、乗用車の若者たちが車の窓から身を乗り出して興味深そ
うに見てくれるので、椎名さんがスマイリングサンシールを差し上げると喜ん
で下さったり、右翼も警察も妨害が無いまま3時までの生活時間展開は年初か
ら大成功!
( タッチー )
★4.今すぐ、命の危険にさらされているふくしまの子どもたちを救うために
十二人の怒れる市民による「ふくしま集団疎開裁判」世界市民法廷の開
催を決定
「私たちは100%」チェルノブイリ避難基準の強制避難地域で教育を受け
る子どもたちです。「0%の人たち」の手によって、私たちの命が危険にさら
されるという不正義を、昨年暮れ、裁判所もお墨付きを与えました(12月1
6日決定)。私たちはこのような理不尽な不正義を許す訳には行きません。正
義の裁きを下すため、2012年冬、「ふくしま集団疎開裁判」の世界市民法
廷を開催することにしました。
以下、生原稿ですが(今後、詳細を公表)、発表します。
1.3.11以来、6.24の申立までのふくしまの現実と子どもたちの状況
頬を真っ赤にして、風の中を走りぬけ、木イチゴをほおばり、虫取りに胸を躍
らせ、雪原をころげまわる・・・。それが、ふくしまの子どもたちでした。
3・11福島第一原発の巨大事故により、ふくしまはすっかり変わってしまい
ました。疎開裁判の申立人である14名の子どもたちが住む郡山市では、安定
ヨウ素剤の配布もなく、放射能測定値が公表されない中で、多くの市民が目に
は見えない放射能に曝されたのです。
息子を給水車の列に並ばせてしまった父親がいました。毎日屋外での部活に出
かけた高校生がいました。卒業式を行うという学校の指示に従い、避難先から
娘を連れて戻ってきた母親がいました。
SPEEDIのデータをはじめとする情報は隠され、「安全キャンペーン」に
より、事故は矮小化されました。文科省の年間20mSvの基準に象徴される
ように、さまざまな基準値が突然引き上げられました。
不安と恐怖の中で、親たちは必死で子どもを守ろうとしてきましたが、行政に
よる子どもたちの命と健康の確保は、除染という方法しかなされませんでし
た。避難区域に指定されていない郡山市の子どもたちには命と健康を確保する
ためには自主避難という方法しかありませんでした。しかし、自主避難は、子
どもたちにとっては、友だちと別れ、知らない世界に飛び込まなければならな
いことでした。親たちにとっては、大きな経済的負担や家族が別れ別れになる
ことが余儀なくされるため、その選択を誰もができた訳ではありません。
そのような中で、申立人となった14名の子どもたちはやむにやまれぬ思いで、
「ふくしま集団疎開裁判」を起こしたのです。
2.申立の理由とその意味
(1) なぜ、申立をしたのか?
文科省は、福島県の父母たちの抗議を受けて、2011年5月27日に、福島
県内の学校について、空間線量の値が年間20mSv以下なら教育OKという
基準を改め、年間1mSv以下を目指すと訂正しました。
しかし、現実に福島県内の学校は殆ど全てが年間1mSv以上の汚染状況であ
り、それどころか郡山市中心部では殆ど全てがチェルノブイリ避難基準で強制
的に避難させられる移住義務地域(年5mSv以上)に該当する極めて危険な
状態でした(汚染マップ参照 https://docs.google.com/viewer?url=http%3A%2F%2F1am.sakura.ne.jp%2FNuclear%2Fkou55-4Koriyamap-Airdose.pdf)。
これに対し、文科省と自治体は、福島県の父母たちが強く求めたにもかかわら
ず、子どもたちを安全な場所に移して教育を実施しようとしませんでした。そ
もそも政府は福島第一原発事故の加害者です。加害者という身でありながら、
いわれなき人災のために命と健康の危険にさらされている子どもたちをこのま
ま放置しておくことは、過去に例を見ない凶悪な人権侵害行為であるのみなら
ず、国際法上の犯罪である「人道に対する罪」に該当する重大犯罪です。
そこで、苦しみの中で救済を求めている市民の声に耳を傾けようとしない政府
と自治体の人権侵害行為をただすため、「人権の最後の砦」として政府等の病
理現象を正すことを本来の使命とする裁判所に救済を訴え出ました。それが2
011年6月24日、郡山市の小中学生14名が郡山市を相手に訴えた「子供
たちを安全な場所で教育せよ」を求める裁判(仮処分申立)です。
(2) 申立の意味とは
この疎開裁判が最終的に目指すのは、福島第一原発事故のために命と健康の危
険にさらされている全ての子どもたちが安全な場所で教育を受けられるように
することです。しかし、今の裁判制度ではそれを直ちに実現することは不可能
です。そこで、まず、郡山市の14名の小中学生がいわば先駆けとなって、救
済を求める裁判を起こしました。もしこの訴えが認められたら、次に、14名
の小中学生と同様の危険な環境に置かれている全ての子どもたちの救済を、
「子供たちを安全な場所で教育せよ」という裁判所の命令を踏まえて、市民に
よる対行政交渉を通じて実現するというプランでした。その意味で、この14
名は被ばくにより命と健康の危険にさらされている全ての子どもたちを事実上
代表して、訴訟に出たのです。
3.審理の経過
疎開裁判は過去に例を見ない裁判のため、形式的な理由で門前払いされるおそ
れがありましたが、裁判所は門前払いせず、子どもたちの被ばくの危険性とい
う裁判の主題の検討(実体審理)に入りました。
当初、2011年9月9日で審理を終え、結論を出す予定でしたが、当日、私
たちが提出した書面により審理は異例の延長となりました。8月末に文科省が
公表したセシウムの土壌汚染のデータにより、初めてチェルノブイリ事故との
具体的な対比が可能となったからです(セシウムの汚染度が郡山市と同程度の
ルギヌイ地区を取り上げ、チェルノブイリ事故以後、その地区で発生した異常
な健康障害が、郡山の子どもたちをこのままにしておくと、今後、同様の健康
障害が発生することが予測されると指摘した矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授の意
見書など)。
これに対し、郡山市は、チェルノブイリ事故との対比について「不知」と答え
るのみで、転校の自由があるのだから危険だと思う者は自主的に引っ越せばよ
い、安全な場で教育を受ける権利を侵害したのは東電であって自分たちではな
い、だから郡山市は子どもたちを安全な場所に避難させる義務を負わないと反
論しました。これは人権宣言の正反対とも言うべき人権侵害の宣言です。
これに対し、私たちは、その後もチェルノブイリ事故との対比に関する証拠を
精力的に提出し、万全を期しました。こうして、延長戦の審理は10月末に終了
しました。
4.12.16判決(決定)の結論と理由
仮処分申立は本来、緊急に救済を実現するためのものですが、今回、裁判所が
判断を下したのは審理終結から45日経過した、奇しくも、野田総理大臣が福島
第一原発事故の原子炉は「冷温停止状態」になったと宣言したのと同じ12月
16日でした。結果も同じく「避難停止状態」、子どもたちの申立を却下する
ものでした。
理由のエッセンスは、14名の申立は郡山市の全ての小中学生を有無を言わせ
ず一律に疎開を求めるというものであるから、その要件は厳格に解する必要が
あること、そのためには14名の子どもたちの生命身体に対する具体的に切迫し
た危険性があること、その危険性を判断する上で最大の論拠となるのは空間線
量の値が年間100mSv以上であること、ところが、14名の子どもたちが通
う学校の空間線量の値が年間100mSv以上であることの証明はない、とい
うものでした。
他方で、私たちが最も力を入れて主張・立証した「チェルノブイリ事故との対
比」に対して、裁判所は一切応答せず、これを黙殺しました。
また、申立却下の最大の根拠となったいわゆる100mSv問題(100mS
v未満の放射線量を受けた場合における晩発性障害の発生確率について実証的
な裏付けがないかどうかという問題)について、審理の中では一度も当事者か
らも裁判所からも取り上げられたことがなかったにもかかわらず、裁判所は判
決の中で、いきなり、なおかつ当事者が提出した証拠に基づかずに認定しまし
た。つまり、裁判所は、処分権主義、弁論主義、証拠裁判主義といった「人権
の最後の砦」を支える近代裁判の基本原則をことごとく踏みにじることで申立
却下という結論を導き出したのです(その詳細は、裁判所の判決(決定)に対
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5.判決を是正し、今、命の危険にさらされているふくしまの子どもたちを救
うために必要な取組み
裁判所の判決(決定)は「人権の最後の砦」である司法の自殺であり、政府と
自治体の凶悪な人権侵害行為にお墨付きを与える重大犯罪です。そのため、ふ
くしまの子どもたちは今、命の危険という重大な危機にさらされています。こ
れを救うために、私たちは再び、人類普遍の価値を有する近代の人権宣言の原
点に帰って行動を起こすことにしました。その原点の1つがアメリカ独立革命
のヴァージニア憲法3条です。
「政府は人民、国家または社会の利益、保護および安全のために樹立される。
いかなる政府も、これらの目的に反するか、または不十分であると認められた
場合には、社会の多数の者は、その政府を改良し、変改し、または廃止する権
利を有する。この権利は、疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄
てることもできないものである。」
私たちは、今から「市民の、市民による、市民のための市民法廷」を開催し、
世界中の市民から構成される陪審員の手によって、上記の裁判所の判決が正し
いかどうか、過っているならばその正しい判断と理由は何かについて、人類普
遍の価値を有する人権宣言とそれを子どもに適用した「子どもの権利条約」に
基づいて裁くことにしました。それが「ふくしま集団疎開裁判」世界市民法廷
の開催です。
この世界市民法廷を通じて、今、命の危険にさらされているふくしまの子ども
たちを救うために、世界中の良識ある市民から支持される正しい裁きを下した
いと思います。
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